フラフラした足取りで病院に向かった。 一応レーには大きな病院があるそうで、怪我や病気で訪れる外国人もちらほらいるようだ。 宏貴さんも付き添いとして同行してくれた。
ハァハァ……。
フラフラする。身体が言うことを聞かない。
そして相変わらず猛烈な便意が俺の肛門の内側を刺激する。一瞬でも気を抜いたらマジで漏れそうだ。
「ほとんど何も食ってないのにまだ出すもんがあるのかよ」 と自分の腸にツッコミを入れたいわ。 腸は第二の脳という言葉を激しく実感するわ。
向かっている病院は、レーの町のメインバスステーションから更に道を下ったところにある。宿泊しているゲストハウスからは30分以上かかる道のりだ。 普段の元気な状態でも結構長い距離に感じるのに、現在の最悪のコンディションの自分にはとても辛い道程だ。
「はぁはぁ……。キツいです宏貴さん……」
「早いうちに病院行っとけばよかったんだよ」
「はぁはぁ……。ウンコ漏れそうです」
「耐えろよ」
こんな会話の10分後。
ハァハァ……。
歩くのがツライ……。ツラすぎる……。
まさしくこれは地獄の苦行、あの世への旅立ちデスマーチ。冗談抜きで俺死にそうだ……(号泣)
頑張れ俺の右足…!
頑張れ俺の左足…!
一歩一歩前に踏み出すんだ……!
限界を越えろ……!
今こそ己の限界を超える時だァァァァァァッ!
ぷりっ。
(((((( ;゚Д゚)))))
「宏貴さん……」
「何?」
「俺……限界を超えました………!」
「いや何が?」
「遂にウンコ漏らしました………!!」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「俺……ウンコ漏らしました………!!」
「……どうする?一旦(パンツ替えに)宿に戻る?」
「…………………」
「宿戻る?」
「……いや。このまま病院に向かいましょう」
「なんで急に悟りきった顔になってんだよ」
「一度パンツ濡らしたらなんかもうどうでもいいです」
「どうでもいいのかよ」
「なんか成し遂げた気持ちです」
「なにも成し遂げてねーよ。むしろ大事なものひとつ失ってるよ」
「さぁ行きましょう……。病院が私たちを待っている」
俺は外国では幾度となく強烈な便意に悩まされ続けたにも関わらず、1度も漏らしたことがないのが唯一の誇りだった。(野糞はたくさんしたよ)
しかしその誇りは今日、脆くも崩れ去ってしまった。
便にまみれた「便神大悟様」の誕生である。
まぁ排出されたブツは完全な液状なので、しばらくすれば乾くだろう。
病院に到着。
受付表のような紙を受け取る。院内はとんでもない人だかりだった。
なんでこんなに人いんだよ。みんな病人なのかよ。
内科と表示されているドアの前で並んでみたが、ここで待っている人だけでも優に50人を超えている。
しかしなんという患者の多さだ……。
しかも並んでいる最中に後ろから、前へ前へとぎゅうぎゅう体を押し込んでくる。
この押しの強さ、明らかに病人じゃねぇ……!
こいつら絶対仮病に違いない。 学校や仕事に行きたくないから医師の診断書を貰いに来ただけの仮病軍団に違いない。
普段の自分なら押し負けることなく並び通せる自信があるのだが、今の状態じゃとてもじゃないが長時間は並んでられない。 だって直立してると、なんか体全体がプルプルしてくるもん。 生まれたての子鹿ぐらいプルプルしてくるもん。
そして待つこと1時間半経過。
………しんどい。
うぅ…まだ自分の名前は呼ばれない。
辛そうにしている俺の様子を見かねた宏貴さんが言う。 「大悟君あそこの椅子空いてるから座っときなよ。俺が代わりに並んでおくからさ」
宏貴さんマジ感謝。
椅子に座っていると、韓国人の青年が声をかけてきた。 話を聞くと、彼もまた俺と同じ食中毒の症状のようだ。 しかしその割には普通に元気だ。
まぁ軽度の症状なのだろう。
彼の名前はブンと言った。
ブンは大学で日本語を専攻しており、挨拶程度の日本語が話せた。
「私ハ、日本ノ漫画ガ好キデス。『ハンターハンター』ガ凄ク好キデス」
「ハンターハンター面白いよね。俺も凄く好きだよ。はよ連載再開せんかなー」
「『エヴァンゲリオン』モ凄ク好キデス。私ハ『綾波レイ』ガ大好キデス。恋人ニシタイ。アナタハ『アスカ』ト『レイ』ドチラが好キデスカ?」
「うーん。俺はレイ派でもアスカ派でもないんだよ。ミサトさんでもリツコさんでもない。俺はオペレーターの『マヤ』が好きなんだ」
だめです!信号を拒絶! 「だめです!」としか言ってない無能だけど好き。
「マヤ好キナンテ変ワッテマスネ。アナタ」
ブン、君の発言は全国のマヤファンを敵に回したぞ。
「デアイゴー!デアイゴー!」
それにしてもさっきから看護師がうるさいな……。
「デアイゴー!デアイゴー!」
先ほどから看護師の女性がずっと、誰かの名を呼んでいるのだが、誰も診療室に向かおうとしない。
「大悟君呼ばれてない?」 宏貴さんが言う。
「んー?デアイゴってもしかして俺のこと?」
看護師の元に行くと、宏貴さんの言うとおり、自分のことだった。 何故か問診票に書かれたスペルがDeaigoになっている。 15分ぐらい前からずっと呼ばれていたらしい。
そんな名前で呼ばれても気づかんがな。
診療室に入り、医師から質問を受ける。
「はいMr.Deaigo。どうされました?」
いやデアイゴではなくダイゴだけど……。まぁいいや。
「はい。嘔吐と下痢が続いているんですが」
「そうですか。レーに来て何日経ちましたか?」
「10日ぐらいです」
「高山病ではないと……。うん食中毒ですね」
はい知ってます(泣)
「では薬を隣の薬局で貰ってきてください」
医師から薬名を記載された紙を受け取る。
「はい次の方ー!」
早ッ!検査も何も無いのかよッ!
2時間以上も待ったのに受診は30秒もかかってない。
「いや先生…。なんかこう…もうちょっと検査しないの?」
「いや君食中毒だから。検査必要ないから。薬飲んだら治るから。はい次の方ー!」
ブンに挨拶をし、病院の前方にある薬局で薬を購入した。
フラフラした足取りで帰路につく。
ハァハァ……。
相変わらず歩くのがツライ……。ツラすぎる……。
もうそろそろ瀕死の一歩手前だ。
「宏貴さん……。もう足を前に出すのも辛いです……」
「世話が焼けるなー」
完全に体力の限界を超えていたので、病院からの帰り道にある上り坂は、宏貴さんに背中を押してもらいながら歩いた。
宿に戻ると簡単な食事を摂り、食後に処方された薬と経口補水液を飲んで安静にしていた。
「じゃあ俺はその辺うろついてくるから」 そう言って宏貴さんは外に出て行った。
薬効くのかなー。
そう思いながら俺は深い眠りに落ちていった。
「おーい。帰ってきたぞー」 宏貴さんの声で目が覚めた。
腕時計で時刻を確認すると、夕方の5時を回っていた。 3時間以上眠っていたのか。寝る前より体の調子は幾分マシになった気がする。
「おかえりなさい。あれ…?」
宏貴さんの後ろに長い黒髪の女性が立っていた。
貞子……!?
あぁ……遂にあの世からお迎えが……。 気分が良くなったと感じたのは俺が死んでしまったからなのか……。
「お邪魔しまーす」
貞子が部屋に入ってくる。
「ひ…宏貴さん……。貞子が……!」
「何言ってんだよ?普通の人間だよ」
生身の人間だった……。
「初めまして。体調はどうですか?」
貞子さんが俺に尋ねる。
「初めまして、貞子さん。朝よりは少し良くなりました」
「……貞子じゃない。ミチコです」
ミチコさんは1ヶ月前からラダックに滞在しているチャリダーだった。 自転車でラダック中を巡っているそうだ。
町をブラブラしている宏貴さんに声をかけられてたついでに、弱りきっている俺の姿を見に来たとのこと。
「これから晩飯行こうと思ってるんだけど一緒にどう?」 と訊かれたが、まだ体調は良くないので残念ながら断ることに。
翌日。 処方された薬が効いたのか下痢はだいぶ治まってきた。 明日には外に出ることができるだろう。
午後になるとミチコさんが部屋を訪ねてきて宏貴さんと出かけていった。
そして夕方。
「大悟君連れてきたぞー!大富豪できるぞー!」
宏貴さんが意気揚々と部屋に戻ってきた。 後ろにはミチコさんの他にストールを羽織った女性が1人。 緩いパーマがかかった茶髪の女性だった。 女性の名前はナツキさん。 副業でアクセサリーなどの小物を海外で仕入れ、日本国内でネット販売しているそうだ。 インドの辺鄙なところにある村で3ヶ月間ボランティア活動に従事していた女子大生で、現在も村の子供達と文通しようと「お手紙プロジェクト」いう企画を立案し実行に移している、まさに女神みたいな人だ。 なにも考えずただウンコとか嘔吐にまみれた旅をしている自分とは雲泥の差である。
レーにはパキスタン国境近くにある町シュリーナガルから1週間前にやってきたとのこと。
「大悟君、人数集まったな!これで大富豪できるな!」
宏貴さんが目を輝かせる。
「えぇ。これで旅の鋭気を養えますね」
「じゃあさっそくやろうぜ!」
宏貴さんがトランプを場に配り始めるが、ミチコさんは大富豪のルールを知らないと言う。
なので、誰もが知ってる神経衰弱を興じることになったが、久しぶりのトランプゲームはとても楽しいひと時だった。
なんだか体も元気になった気がした。
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