「俺のターン!ハートの7を召喚!7渡しの効果を発動!カードを1枚相手に送る!」
「俺のターン!ハートの10を召喚!10捨ての効果によりカードを1枚墓地に送る!更に同じマーク続けて出したことにより縛りが掛かる!」
「ふん……。なかなか縛りとはやるじゃないか……!しかしまだ僕も負けてないよ!僕のターン!ハートの2を召喚!」
「ばっ馬鹿な!あいつがハートの2を持っていたとは……!」
「残念ながらまだカードを流すわけにはいかないぜ!俺は切り札のジョーカーを出す!」
「あ、あいつ…ここでジョーカーを使うのか……!」
「流れは俺が貰った……!」
「なッ!そんな!?」
「俺のターン!スペードの3を召喚!スペードの3の効果によりジョーカーは無効化する!」
「ちっ、畜生………!!」
宏貴さんとナツキさんが、レーを出発して数日が経過した。
自分は毎日、宏貴さんが宿に置いていったトランプを使って、知り合った日本人旅行者の方々と和カフェで大富豪を興じていた。
宏貴さんとナツキを見送った翌日から和カフェがリニューアルオープンし、数品だけではあるが、日本風の料理が出されるようになった。 しんのすけさんが和カフェに来てから、打って変わって、以前とは比べものにならないほど料理が美味しくなり、訪れるお客さんも徐々に増えていったのである。
宏貴さん……。あなたが残したトランプはとても役に立っていますよ……。(遠い目)
「フ…。悪いが今回は俺が大富豪のようだ……。俺のターン!スペードの8を召喚!8切りの効果により、この場は流れる!そしてダイヤの7を召喚!カードを1枚相手に送る!俺の手持ちカードは無くなった!今回は俺が大富豪だ!」
「俺が都落ちだとおおおお………!」
遊戯王のノリでの大富豪は非常に面白く、一緒にトランプをするメンバーも気のいい人達だったので、レーでの生活はとても心地よいものになっていた。
「そろそろレーから離れて別の村に滞在してもいいかな…」とは思ってはいたのだが、チャリダーのミチコさんに「荷物預かっておいてね」と頼まれ、彼女の荷物を部屋にキープしているため宿を離れるわけにはいかず、和カフェで緑茶を飲みながらボケーっとしていたら、いつの間にか毎日大富豪をする生活になっていたわけだ。 ちなみに、ミチコさんは『ツォモリリ』という湖が見えるコルゾック村に自転車で向かっている。
現在、宿に宿泊しているのは自分一人だけである。
「ハーイ!のび太!」
部屋から出ると、宿の家事炊事全般を毎日こなす女の子、イトナムに声をかけられた。
「いや、俺の名前はのび太じゃなくて大悟だって」
「ノー、ダイゴ。あなたの名前はのび太よ!アハハ!」
彼女は笑いながら洗濯物を干しに外に向かう。
いつからかは忘れてしまったが、何故か自分は「のび太」と呼ばれるようになっていた。
のび太という名前は誰もがご存知ドラえもんの「のび太」から取ったわけだが、何故「のび太」になったかは謎である。
「ジュレー!のび太!」
キッチンから大きな声を上げながら男の子2人が走り寄ってきた。 宿の主人の2人息子の長男、ジッメトゥと、幼稚園児の次男、スタジンケレサンだ。
ラダックも学校は夏休みに入り、宿は朝から騒がしい。
外国人である自分は、子供たちにとって丁度良い暇つぶしの相手と思われているらしく、2人ともよく部屋に侵入してきては、俺の荷物を漁っていた。
実に微笑ましい光景である。 ご褒美として、泣き喚くまでカンチョーを咬ましてやりたいぐらいだ。
冷静になって考えてみれば、いくら仲良くなったとはいえ、客室に忍び込み宿泊者の荷物を漁るというのは子供であれど立派な犯罪行為ではなかろうか。
「のび太、チョコちょうだい!」
ジッメトゥが目を輝かせて元気よく俺に手を差しのべている。
ジッメトゥが言うチョコとは、自炊用に買った一袋12ルピーのインスタントマカロニに付いてくるおまけのチョコボールのようなお菓子のことだ。 タダで貰えるというなら大量に買っておこうということで、インスタントマカロニを大量に買い込んだのである。 20袋近くのインスタントマカロニをカゴに入れてレジに持っていった時、店員には細々と「クレイジー…」と呟かれたものだ。
「のび太ー、チョコー」
「ダメだ。昨日3箱もあげただろ」
「いいじゃん。今日も頂戴よー」
「ダメだ。そんなに甘いものしょっちゅう食べてたら虫歯になるぞ」
ジッメトゥとそんな会話をしていると、スタジンケレサン(皆「ノノ」と呼んでいる。ラダッキ語でノノは弟や坊やの意味)がお菓子が入っている袋に歩み寄り、勝手にチョコを持っていこうとしていた。
「こらっ!ノノっ!勝手に人のもの取っちゃダメだろ!」
「大悟、チョコくれー!」
「ダメ」(・ω・`)
つーか普通にチョコ盗ろうとしただろお前。
ノノは好奇心旺盛かつ我儘な年頃だ。 自分に気に食わない事があると、宏貴さんのトランプを何枚かぐちゃぐちゃにしたり、玄関に置いてある宿泊客の靴をポイポイと何処かに投げたり、終いには麺棒で殴りかかってくるなど、とにかく周りに当たり散らすという悪ガキである。
俺が親だったら 「おらっ、お前の好きなお菓子だ!食えよ。ほら食えよ!」 と言いながら、 メントスを腹一杯食わせた後で無理やりコーラを一気飲みさせる刑に処すところである。 お菓子にたいして恐怖心を植え付けてやりたいわ。
お父さん、もう少し躾を厳しくした方がいいと思います……。
ノノが握り締めているチョコのお菓子を奪い返し、2人共部屋から追い出す。
あー……朝っぱらから体力使うな……。早く夏休み終わらないかな……。
子供たちが勝手に侵入してこないよう、部屋の鍵を閉めてベッドに横になる。 天井を見上げると、一匹のハエがブーンブーンと羽音を立てて元気よく部屋中を飛び回っていた。
ブーンブーン。
あ、ハエだ。
いつの間に部屋に入ってきたのだろう。 じっくり観察してみると、やはり日本に比べるとかなり大きい。ネパールのトレッキングで見たハエもそうだったが、高所にいるハエは体長が大きいものなのだろうか。
バンバンバンバン!
なんじゃッ!?
「のび太ー。チョコー」
ノノが部屋の外に回り込み、窓をバンバン叩いていた。
なんじゃノノか……。びっくりしたじゃないか。
バンバンバンバン!
「のび太ー。チョコー」
「窓を叩くんじゃない。窓割れるぞ」
「のび太ー。チョコー」
「ダメ」
「のび太ー。チョコー。のび太ー。チョコー。のび太ー。チョコー。」
「のび太ー。チョコー。のび太ー。チョコー。のび太ー。チョコー。」
ノノの後にイトナムとジッメトゥもやってきた。 窓にへばり付いて皆「のび太ー。チョコー」と詠唱している。
いやなんの儀式これ?
「のび太ー。チョコー。のび太ー。チョコー。のび太ー。チョコーチョコーチョコーチョコー」
……全く落ち着かん。
「………お前たち、そんなにこのチョコが欲しいか?」
チョコのお菓子の箱を右手に持ち、窓ガラス越しにひらひらとイトナムたちに見せつける。
「チョコォォォォォ!」
「そうかそうか。そんなに欲しいのか」
「チョコォォォォォ!」
「ほれほれ、お前たちの大好きなチョコだぞ」
チョコのお菓子を窓にぴったりと押し当てる。
「チョコォォォォォ!チョコォォォォォ!」
「はっはっはっは。鍵がかかっていて、そこからではどうしようもあるまい」
「チョコォォォォォ!チョコォォォォォ!のび太!ギブミーチョコォォォォォ!」
まるで動物園で飼育されてる青草に群がるヤギみたいである。 ちょっと面白くなってきたので軽くあしらってみることにした。
チョコのお菓子を一箱開封して、チョコを1個取り出す。
「ほらほらチョコだぞー」
窓の外にいるイトナムたちにじっくりとチョコを見せつける。
「チョコォォォォォ!チョコォォォォォ!チョコォォォォォ!」
それをゆっくりと自分の口に運ぶ。 「あーん」
「チョコォォォォォ!チョコォォォォォ!チョコォォォォォ!」
「パクッ。あーチョコ美味しいなー」
「チョコォォォォォ!チョコォォォォォ!チョコォォォォォ!」
「もう1個食べよう」
またゆっくりと、チョコを1つ口に運ぶ。
「うわぁぁぁぁああ!チョコォォォォォ!チョコォォォォォ!」
「美味しいなー。もう1個」
「うわぁぁぁぁああ!チョコォォォォォ!チョコォォォォォ!」
あー面白い。(´∀`)
「じゃーな。みんな」
一通り楽しんだので窓のカーテンを閉めきり、子供たちが部屋の様子を探れないようにした。
「チョコォォォォォ!チョコォォォォォ!のび太!チョコォォォォォ!プリーズチョコォォォォォ!」
しばらくの間、悲鳴にも似た叫びがカーテンの向こう側で響き渡っていた。 ここが日本の住宅街だったら、近隣住民から幼児虐待の疑いをかけられそうである。
子供たちのチョコの合唱が聞こえなくなって数時間経過。
チョコ菓子の奪取はいい加減諦めたようだ。
ようやく部屋でのんびりできるわ。
ベッドに仰向けに寝転がると、先ほどのハエが時折、弧を描くように旋回している。 その様子を眺めていると、コンコン、とドアをノックされる音がした。
「はーい」
ドアを開けるとイトナムがそこに立っていた。
「イトナム、なにか用事?」
「ゴミ箱のゴミ、外に出さないと」
「あ、そうか。悪いね」
「あとせっかくいい天気なんだからカーテン開けて陽の光を入れようよ。換気もしないと」
そう言ってイトナムは窓を開ける。
いやーイトナムは気がきくなぁ。こんな妹欲しかったなぁ…。
そう思った瞬間。
「今だ!行けェェッ!」
イトナムの合図と同時にジッメトゥが部屋に駆け込んできた。
「チョコォォォォォ!」
何ィッ!?まだチョコを狙っていやがったか!
チョコのお菓子目がけてジッメトゥが迫ってくる。
そうはさせるかァァァァァッ!
イトナムとジッメトゥを両手で押さえ2人の動きを止める。
はっはっは。惜しかったな。子供にしては知恵を絞ったようだな。 だがチョコは渡すわけにはいかないんだよ。
2人をヒョイと両腕で抱えてドアの外へ連れていく。
「チョコォォォォォ!のび太チョコォォォォォ!」
「何度言ってもだめ」
その時、ガサガサと後ろから袋を漁る音がした。
ん?(; ・`д・´)
後ろを振り返ると、ノノが窓から部屋に侵入していた。
俺のチョコのお菓子を両手に握りしめている。
なッ、何ィッ!?
イトナムとジッメトゥは囮だったのか! こいつら、子供ながら見事な連携プレーを使いやがる……!!
「こらー!ノノ!チョコを持ってくなァァァッ!」
「今だ!逃げろノノ!」
イトナムとジッメトゥが俺の足を掴んで動きを止める。
ばッ、馬鹿な……!そこまでしてチョコをが欲しいものなのか……!
ノノがチョコのお菓子を持って窓から出て行く。
……フ。負けたよ。お前たちのお菓子にかける情熱は……。
イトナムとジッメトゥが俺の足元から離れ、リビングへ駆けていった。
……まぁ俺は優しいからな。ギニュー特戦隊のスペシャルファイティングポーズを最後まで見届けてあげるフリーザ様くらい優しいからな。 今日ぐらいは勘弁して数箱ぐらいはプレゼントしてやろう。
やれやれ……。ノノの奴、何箱持っていったんだ?
……………………。
あいつ全部持っていきやがった!!
やっぱり、なぶり殺しの刑に処そう。
和カフェのすぐ近くにはインド人とネパール人が営業してある露店がある。露店は3軒あり、それぞれの店に店主がいる。 衣類の販売をしているインド人のラフル。マニ車やアクセサリーなどの小物を扱っているネパール人のゴヴィドゥ。CDの販売をしているラダックの南にある僻地、ザンスカール区域出身のトゥクストップの3人だ。
ゲストハウスからメインバザールに出るには、彼らの店の前を必然と通ることになるので(裏道を通って遠回りすれば出れなくはないが)必ずと言っていいほど声をかけられる。
「おーい。Mr.ダイゴ!」 ネパール人のゴヴィドゥが声をかけてくる。
「おはようゴヴィドゥ」
「調子はどうだい?」
「普通に元気だよ」
インド人のラフルも挨拶してくる。
「ハローダイゴ」
「ハロー、ラフル。今日のビジネスの調子はどう?」
「まぁまぁだな」
「ダイゴ、突っ立ってないで座れ座れ」
そう言いながらゴヴィドゥは店の奥にある椅子を差し出す。
そして自分が椅子に腰掛けると、いつも通りゴヴィドゥの例の話が始まるのだ。
「ダイゴ、俺は寂しいよ」
「うん、そうだね。ナツキさんいなくなったもんな」
ゴヴィドゥと話をすると必ずと言っていいほど、ナツキさんの話が出てくる。 ほぼ毎日、店に顔を出しに来てくれていたナツキさんのことを、ゴヴィドゥはかなりのお気に入りらしい。
「ダイゴ、ナツキは今何処にいるんだ?」
「うーん、そろそろネパールに入る頃なんじゃない?」
「ネパールからまたインドに戻ってくるんだろ?こっちに戻ってこないかな?」
「さぁ…?インド南部に行くとか言ってたような……」
「なんてことだ……。残念だ……」
……そんな悲観的に思わなくても。
「ナツキはとてもいい子だったよ。いつもここに来てくれて話し相手になってくれた。あんな旅行者はなかなかいない」
「その言葉、ナツキさんに直接言えば良かったのに……」
チャイを飲みながらしばらくゴヴィドゥたちと話をした後、自炊用の食材を買って宿に戻る。
部屋のベッドでごろごろくつろいでいると、廊下からイトナムの声が聞こえた。
「ヘーイ!のび太!」
「のび太じゃなくてダイゴ。なんじゃい?」 と言いながらドアを開ける。
「のび太の友達が来たよー!」
「のび太の友達……?しずかちゃんかスネ夫かジャイアンか?」
イトナムに手を引かれ庭へ出る。 そこには自転車から荷物を降ろしている女性がいた。
「はーい。帰ってきたぞーい」
「なんじゃ。ミチコさんかい」
コルゾックからたった今、レーに戻ってきたそうだ。
「疲れたわいー。シャワー浴びたいー」
「今停電中なんで、ホットシャワー多分出ないですよ。タンクに溜まってる分しか温かくないと思います」
「げ……マジか……。でも4日も水も浴びてないから水でも浴びる」
そう言って、シャワーを浴びに行くミチコさん。
「ミチコの自転車かっこいいー」
宿の子供たちはミチコさんの自転車を羨望の眼差しで見つめていた。
和カフェで緑茶をすすりながら読書をしていると、しんのすけさんがこう言った。
「そういえば明日から4日間、チョグラムサル(レーの隣の村)でダライ・ラマのティーチングがあるんですよ」
「はー。そうなんですか」
「あんまり興味なさそうですね」
「そうですね。あんまり興味はないかなー。熱心なチベット仏教徒にそんなこと言ったら怒られそうですけど…。」
というかそれ以前に、ダライ・ラマという崇高な人のティーチングを聞いても自分の英語力では全く理解できない自信がある。
ダライ・ラマとはチベット仏教で最上位クラスに位置する人物。チベット仏教徒の守護者にして象徴という存在として崇められている方だ。要はめちゃくちゃ偉い人である。
2週間ほど前からラダックにやってきており、現在のレーの町は観音菩薩の化身の歓迎モード一色である。 ラダック各地でティーチングが行われており、チョグラムサルの寺院に宿泊し、そこに篭っている間は瞑想に耽っているとのこと。
1週間ほど前にも、レーにある小学校にてティーチングが行われたのだが、それに行くことはなかった。
宏貴さんと一緒にティーチングに行こうと予定していたのだが、当日おもいっきり2度寝してしまい、結局ティーチングには行かずじまいだったのだ。
その日、テクテク道を歩いていると、ダライ・ラマを乗せた黒塗りのベンツがゆったりとしたスピードで自分の目と鼻の先を通り過ぎていくという出来事はあったが。 車内にいたダライ・ラマは両手を眼前に掲げ、穏やかな笑みを浮かべていた。 その時は、無宗教の俺がこんな近くでダライ・ラマを拝見できるなんて、チベット仏教徒の方に申し訳ないと思ったよ。
「しんのすけさんはティーチングに行かれるんですか?」
「僕は店の方にいないと。それに前回行きましたし。明日行われるティーチングはラダックでは1番規模が大きいものですよ」
「へー。ティーチングってどんな話をされるんですか?」
「さぁ……。英語で通訳されてるんですが難しすぎてさっぱりですね。まぁ祭りみたいなものですから記念に行かれてみてもいいと思いますよ。ただティーチング初日は凄く人が集まると思います」
「んー。まぁ気が向いたら行きます」
「行かないパターンですねそれ」
しんのすけと話していて気付いたが、今日はウルギャンや他のスタッフの姿が見えないな。
「今日はウルギャンはいないんですか?」
「あいつは今日、無断欠席です。ダメですね」 しんのすけさんは呆れた様子で言った。
他の携帯ポチポチ女性スタッフも、バザールに買い物に行ったきり戻ってこないそうだ。
たった一人で店を切り盛りしている人が無償で働いているとは…。この店のブラック具合の前にはどんなブラック飲食店も霞んでしまうであろう。
「じゃあ行ってくるよー」
ミチコさんは早朝に宿を出た。 しんのすけさんが言っていたダライ・ラマのティーチングに行くためだ。
「行ってらっさーい」
俺は布団から腕だけ出して見送り。
昨日、コルゾックから帰ってきたばかりなのに元気だなぁ…。
数時間後、自分も起床。
よく寝た……。(´-ω-)
時計を見ると、もう10時を回ろうとしていた。
完璧にダラけきった生活である。
ラダックに来たばかりの頃は、毎朝5時起きの生活を送っていたのだが。
1ヶ月近くも同じ場所に滞在すると、ここまでダラけてしまうものなんだなぁ、と実感する。 俺だけかもしれないが。
朝食を作ろうとキッチンに向かったが、鍵がかかっていた。
そういえば宿の家族もダライ・ラマのティーチングに行くって言ってたっけ。朝食は作れないなー。仕方ない……。外に食べに行くか。
そういうわけで、着替えを済ませて和カフェに足を運ぶ。中島みゆきの曲がラジカセから店内に流れていた。ティーチングが行われていることもあってか、この日は客は全く来ていない。 しんのすけさんはキッチンで椅子に腰掛け黄昏ていた。
「おはようございます。やはり今日は暇そうですね」 黄昏ているしんのすけさんに声をかける。
「あぁ。おはようございます。ティーチングには行かれましたか?」
「行ってないんですよ。さっきまで寝てました」
緑茶と蕎麦を注文して椅子に腰掛ける。
店内からゴヴィドゥたちの露店の様子を伺ってみたが、彼らも同じく足を運ぶ客が全くおらず、ただただ暇そうにしている。
「あれ?今日もウルギャンは来てないんですか?」
「あいつは今日も無断欠席です。ダメですね」
ほとほと呆れた様子のしんのすけさん。
熱い緑茶を飲みながら空を見つめると、分厚い雨雲が遠くまで広がっていた。滅多に雨が降らないラダックだが、ここ2週間はパラパラと雨がちらつく日が多い。 ちょうど、ダライ・ラマがラダックに来たタイミングと同時にそんな空模様が続いている。
あのじいさん、ひょっとして雨男なんじゃなかろうか。
朝食を済ませ、ゴヴィドゥたちの店に顔を出した後に、レーの路地裏などをひとり散策し、夕方にまた和カフェに足を運ぶ。
「お。こんちはっす」 テーブルにノートパソコンを開いて撮影した写真の整理をしている男性がいた。
ここでトランプの遊戯王風の大富豪を興じていたメンバーの一人である。名は康弘さんという。
「どうも。今日は何されてたんですか?」
「ダライ・ラマのティーチングに行ってきました」
「お!どうでした?ティーチング」
「民族衣装を着た小さな女の子がいたんですけど、その子がむっちゃ可愛かったですね」
そう言いながらパソコンの画面に康弘さんが撮影した女の子の写真が表示された。ラダックの伝統衣装を身に纏った、少女が優しい眼差しをカメラに向けている。
おぉ。確かにむっちゃカワユイ。
「こんな子がたくさんいましたよ。危うくロリコンに目覚めてしまうところだった」
「ティーチングの内容は分かりましたか?」
「分かるも何もティーチングの話を全く聞いてなかったです」
幼女撮影して帰ってきただけかよ。
「あ。分かったこと1つある。ダライ・ラマの笑い方は渋い声で「はっはっはっはっは」ということですね」
「はっはっはっはっは。ティーチング行ったほうがいいですかね?」
「まぁ行ったら記念にはなるんじゃないですかね。はっはっはっはっは」
夜、宿でミチコさんにティーチングの感想を尋ねてみた。
「ミチコさん、ティーチングどうでした?」
「お祭りみたいだったよ。途中でポロポロ小雨が降りだしたんだけど、その時みんなが一斉にビーチパラソルみたいな傘を一斉にさして綺麗だった」
「大悟も行ってみれば?」
「なんか移動するのが面倒くさいです」
「ものぐさな奴じゃのう…」
「行くきっかけがないので」
「きっかけは自分で作るものじゃぞ」
ブーンブーン。 会話の途中、以前から部屋にいたハエがまた飛び回る。
「ハエがいるー。このハエ昨日もいなかった?」
「あぁ。このハエ、ミチコさんがここに来る前からいましたよ」
「飼ってるの?」
「勝手に住みついてる。同居人ですね。あ…違った。同居ハエです」
「名前はあるの?」
「ハエ太」(今考えた)
「ハエ太は何食べてるんかのぅ?」
「俺が床に落としたパンくずが主食だと思います。水分はシャワールームで補給可能」
「んで、ティーチング行くのかい?」
「明日早起き出来たら行こうかな」
「行かないパターンでしょそれ」
翌朝。9時半に起床。
んー。実に清々しい朝だ。
のんびり朝食を作り、ゆっくりと朝食を摂り、洗濯物をすると11時を回った。
「大悟結局ティーチング行かなかったのう……」 文庫本をパラリとめくりながらミチコさんが言う。
「あれですね。やっぱ行く気がないと早起きできないですね」
「それ以前に君、12時間もよく寝れるよね」 俺のロングスリーパーぶりにミチコさんは呆れたように言う。
昼過ぎに宿を出て、特に用事は無いがテクテクとメインバザールへ向かって歩いてみた。
「ヘーイ!Mr.ダイゴ」 露店の前を通ると、いつもどおりゴヴィドゥが声をかけてくる。
「ゴヴィドゥ、商売の調子はどう?」
「退屈だよ。今はダライ・ラマがティーチングに来てるから観光客がそっちに行っちゃって商売になんないよ」
「そりゃそうか」
「大悟はティーチング行ったのか?」
「行ってない」
「なんで?」
「なんか興味がない」
「ラダック来てるのに行かないって変わった奴だな」
「そうかなぁ……」
露店を後にして、今晩の夕食のメニューのことを考えながら町を歩く。
今日は何を作ろうかなー。…今日もシチューでいいか。
ラダックで取れた野菜をたっぷりと入れたシチューは定番の夕食になっている。
あ、そういやカブきらしてたわ。買ってこよう。
レーの町ではメインロードの歩道に茣蓙を敷いて、村人が各々の家で収穫した野菜を販売している。その日の朝に獲れた野菜なので鮮度も良い。野菜市場ももちろんあるのだが、そこで販売されているものはインドから輸送されているものでわずかに鮮度が劣るので、同じ食材は道端で販売されてるものを買うようにしていた。
道端の野菜売りのおばちゃんからカブを1kg購入。
その後、「今日はウルギャンいるかな」と思い、和カフェに立ち寄ってみる。
右手に数本のカブをぶら下げながら店内に入ると 「それ料理するんですか?」 と横から声をかけられた。
話しかけてきたのは中年の日本人男性だった。色の付いた色眼鏡を掛けている。
「ん?このカブのことですか?」
「はい、そうです」
「今泊まっている宿がキッチン使えるんで自炊してるんです」
「自炊ですか!凄いですね」
そう言う男性の横には、日本人女性が座っている。 サラサラの黒髪と、透き通るような白い肌はラダックのような標高の高い場所では珍しさを感じさせた。
夫婦……ではないな。見るからにカップルでもない。
そんなことを考えていると男性からこう尋ねられた。
「あの…パンゴンツォに行かれませんか?」
パンゴンツォとはラダックにある標高4200mの場所にある湖のことである。インドと中国の国境にまたがる、アジア最大級の汽水湖だ。 俺もこの湖があることを知ったのはつい最近のことだ。
「パンゴンツォですか?いずれバスで行く予定ですけど」
「バス出ているんですか?」
「土日だけですけど」
「土日だけ……。じゃあ無理かぁ……」
残念そうな表情をみせる男性。
男性の名は平田さんといい、話を聞くと1週間だけ会社の休みが取れたのでレーにやってきたという。 1週間だけという短い期間の中で、なんとしてもパンゴンツォだけは見たいということで、一緒にパンゴンツォに行ける人を募っているとのことである。 隣に座っている女性は、ついさっき出会ったばかりとのこと。
「ラダックは長いんですか?」 平田さんの隣にいる女性が自分に尋ねる。
「んーと…。もう1ヶ月近くいますね」
「1ヶ月ですか。長いですね」
女性の名はひとみさんと言い、つい最近ラダックに来たとのこと。 南米とアフリカの旅行経験があり、まだアジアは旅をしたことがないので今回はお金が尽きるまで旅を続けるということだ。
「ひとみさんはラダックでの予定は決めてあるんですか?」
「うーん……。トレッキングはしたいなと思ってるんやけどね。あ、ここでフィスティバルがあるって聞いてそれは見たいなーと思ってる」
「フィスティバルっていつですかそれ?」 平田さんは興味津々だ。
「9月って聞きました」
「9月かー。普通に日本だ」
時間が限られている会社員は大変だな……。
時間が無限にある自分には無縁の悩みである。 だって俺無職だから!(号泣)
「大悟さん、パンゴンツォに行きたいっていう旅行者知りませんか?」
「うーん、知らないですねー。いくつかの旅行会社でジープシェアを募っている張り紙がありますから、それに参加するのが一番確実かもしれないですね。日本人に限らずいろんな国の人が集まると思いますけど」
「今後の予定は決まっているんですか?」
「うーん…何も……。ダライ・ラマのティーチング行こうか決めかねているところです」
「ダライ・ラマ来てるんですか!?」
2人とも驚いた様子で訊いてくる。
「はい、チョグラムサルってところで昨日からティーチングが行われてますけど」
「マジで!?行きてー!」 「私も行ってみたい!」
2人とも興味津々である。
「普通に行けますよ。バス停からチョグラムサル方面行きのバスか乗り合い車に乗れば。ティーチングは朝8時から11頃までやってるそうです」
「バス停って何処ですか?」
「メインバザールをずっと下っていった所です」
「歩いて行けますか?」
「だいたいここから20分、ゆっくり歩いて30分くらいかなー」
「30分?遠いなぁ……」
遠いか?
「じゃあ案内しましょうか?」
「いいの?よろしくお願いします!」
そんなわけで明日ティーチングに行くことになった。
行くきっかけができたな……。
待ち合わせの場所と時間を決めて宿に戻る。
「そういえば今日パンゴンツォに行きたいっていうおじさんに出会いましたよ」
部屋で晩御飯を摂りながらミチコさんと話をする。 ハエ太は今日も変わらず天井近くをブーンブーンと羽音を鳴らして飛んでいる。
「へー、私も行きたいのぅ。パンゴン」
「ミチコさん、もうパンゴンツォには行ってきたでしょう」
「うん、自転車で行ったけどもう1回行きたい。でもジープは高いんだよねー。1泊2日のジープ手配したら8000ルピーぐらいだったかな」
「ヒラタのおじさん、短期旅行だからもしかしたらジープ代多めに出してくれるかもしれんなー」
俺が冗談半分でそう言うと、ミチコさんが言った。
「1000ルピーぐらいならあたし喜んで行くなー。おじさん5000ルピーぐらい出してくれるんじゃないかなー。明日一緒にティーチングに行くんでしょ。ちょっとそれとなく聞いてみてよ」
「えぇ~」Σ( ´д`)
まぁ1000ルピーなら俺も喜んでジープツアー行くけどさ。
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